☆「ZAN ジュゴンが姿をみせる時」上映会いきました☆


ジュゴンのことを、沖縄では
ザンといいます。

何に感動したのだろう。
まず、音楽。
沖縄の自然の声でしょうか。
ザンの泣き声かなあ。
泳ぐ人の姿がジュゴンにも神にも見えてくる。
一瞬でなんだか、人も海の中の生き物も宇宙の生命も、ミトコンドリアも超えて全ては同じなんだ、と感じた。
海の中の世界は潜ってみないとわからないけれど、こうしていまもある。今生きている人が生まれる前から。
命を育み、永らえさす羊水だ。


狭い所や、深いところ恐怖症なときもある私はすこーし、苦しくなり
気づくと海底で息を止めている気持ちで見ていました。

この苦しさは、沖縄の海自身の苦しさなのか。

沖縄には、学生のころから何度か行き、また行きたいと思いながら、心の海はとおかった。
都会にいてもちっとも癒されず、肺が苦しくなるような今を生きていたけれど、海の中のサンゴや、海草をもふもふ食べていくザンは、可愛い。ほどけていくようなかたまりのストレスや凝り、きしみを海はゆるやかになにもせず、ただあるだけでゆるめてくれる。

ジュゴン なにを考えていきているのだろう。
ジュゴンの無防備さに学べる
平和や優しさは、無防備。

暖かくあの角のない体型。

☆ ☆ ☆
沖縄の歌やいいつたえで、昔網にかかったザンを助けてあげたらお礼に、津波がくることを教えてくれたという。
その村の人だけが、助かったそうだ。

それ以来、危機的状況の前には必ず現れて人をたすけるといわれるザン。
題名の、ジュゴンが姿をみせる時
これは、人間の危機のとき。

辺野古では、基地建設が行われ始めている。
今年、ジュゴンは、姿を現したということです。

ジュゴンは
天使ではないか。

沖縄は特別なんだなあと改めて感じた。
ジュゴンとは、古代ヘブライ語のような、オの音を発音せず、
ジュグン
デュグン、のように、
それが、デュグー
リュウグウ
りゅうきゅうは

竜宮だと。
ジュゴンのいる海は竜宮だと、きいたら、すっかりわからないことが、わかった気がした。
そんな次元の視点をもつとわかる。

監督のリチャードさんは、ずっとぶれない。
命をみつめつづけて、アイルランドから、とうとう日本まできて、落ちついた人だ。

大きな大きな愛とメッセージを持つ人で、答えは、みた人それぞれに、託される。
行動を起こせ。
多くの人に見てほしい映画です。
リチャードさんは、ずっと映像を撮っていると聞いていたし、日本人も日本のことも、良さも裏からも見つめ、正直に繊細にそして本質的なところを一瞬で伝える才能を持つ。
沖縄の海はおそらく、私たちが死んでも続く。基地は誰のために、残したいのだろう。
あらやるものが
つながっている。
映像が、コトバを超えて、人の周波数に届きはじめた。

心に響く人は
どこかの海でジュゴンの声を
もうきいた人なのだろう。

「愛と癒しの占い師」スピリチュアルヒーラーまかろんサエコ